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日中草の根プラットフォームが先人たちの残した歴史から受け継ぐもの

更新日:2021年9月8日




改めまして、10月8日の重要会議に向けてカウントダウンの意味で


ブログでメッセージをお届けします。


なぜ、「草の根」プラットフォームなのか?


そして、プラットフォームの名前が「SOMEI」なのか?


なぜ、李徳全研究会グループなのか?


ただのビジネスではなく、ただの事業ではなく


歴史と文脈があるこのプロジェクトについて


改めてメッセージをシェアさせていただきます。


私がこのグループの代表になったのが2020年2月のことでした。


初代代表が病気で亡くなられた後のことです。


初代代表と共に2014年の日中首脳会談の実現に向けて共に汗を流し


そして、6年の歳月の中で日本と中国やアジアや世界との歴史や未来のビジョンについて意見交換し


全国を回り、中国を訪問し、中国との関係性が更に友好モードになれるように


様々勉強させていただいてきました。


私が中国のイメージを180度変えられることになったのが


1954年の10月30日の日本の読売、朝日新聞の全国紙の一面記事を拝読したことがきっかけです。







中国の李徳全女史がB、C級戦犯名簿を携え、


残っていた中国の残留孤児や抑留者家族を32,000人を


無償で無条件釈放して返してくれたその張本人であることをを知ったその日からでした。


私は以前から中東問題に関心があり、イスラエルを行き来していたこともあり


テロのことしか報道しないテレビや新聞のあり方では本当の現地のことは伝わらないと捉え


現地に足を幾度なく運び、自分で見たそれ以外の素晴らしいところを伝えたいと思って歩んできたことが


中国へのニュースから受け取るイメージも同じだと理解してから


私の偏見が取り去られた李徳全さんの働きをきっかけに


その歴史を鏡に相手の良いところを発見し


日中友好関係を改善し、促進していくことができると考えるようになりました。


今私たちが目指しているのは日本と中国の国と国を繋いで展開するプロジェクトです。


ほとんどの人は、国と国を動かすのは政治家や政府の役割だと考えがちですが


中国と日本の歴史においては


政府を中心とせずに草の根から動かした歴史があったのです。


これまで私がこのプロジェクトに関わった7年


歴史や過去の李徳全さんのことはいいので


早くビジネスをしましょうよと急ぐ人たちがいましたが


歴史の重要性や相手の国を大切にすることなしに


ビジネスや仕事がうまくいくことは簡単ではありません。


とりわけ、戦争をした相手国と改善に向かって歩んでいく場合


もしも、自分たちが傷つけた人たちの家族や子孫が生きている地域とビジネスをしていくとしたら


歴史で起きたことを知らずして無視しして


相手の気持ちに立って


ビジネスや仕事を成功させていくことはできないでしょう。


もしもそんなことを大事にしない人たちとお金を得るだけの仕事をしたとしても


その経済活動は本当に生きたものになるのか考えさせられます。


今世界はSDGsやカーボンニュートラルを掲げているように


本当に大切なことを軸に置くことなく


社会活動、経済活動、生産活動をしても益になるのか吟味する時代に入っています。


第一次、第二次世界大戦後、世界は失ったものを取り戻すべく


選択肢のない中で生きることを最優先として経済活動、生産活動を展開しては


環境汚染や病気を引き起こし


そして、やがては経済格差を生み出して


今、そのアンバランスを取り戻すべく


世界は各方面で必要なものを埋めようと取り戻そうと努力しています。


では、日本と中国が連携して


戦後の痛みを直視して受け止めあい


世界に向けてモデルケースを作っていくために


私たちは何を模範とするのか?


そこで1954年の李徳全さんたち訪日団と日本側の受け入れチームの関係性から学び


そして、更に発展させて行きたいと考えたのです。


1954年の日中関係の重要なポイントは


草の根、民間の形で政府ができなかったことを成し遂げたのです。


日本と中国の赤十字が動き、日中関係の民間団体が動き


当時の首相も外務省も対応が難しかった李徳全女史訪日団の受け入れを実現に向かいます。


だから、草の根の精神で今も行動していくのです。


そして、草の根=国民一人一人を大事にするときに


互いに手を取りあえることを子孫たちに模範として実践してくれた


その李徳全さんは中国の二大夫人としても知られています。


一人は孫文の奥さん「宋 美齢」、そしてもう一人が馮玉祥将軍の奥さん「李徳全」です。


李徳全さんは国家のために人生を捧げ、そして夫が暗殺された後


ご自身の持つ全財産を国に捧げたのです。


日本と中国の孫たちの世代に戦争時代のしこりを残さないように


愛と赦しを実践したまさに母の鏡でもありました。


その草の根の母である李徳全さんを何かのシンボルで表現したい。


中国語で「いちご」を表現すると「草苺」となり


草の根の母を中国で「草苺」=「SOMEI」となりますので


李徳全精神を忘れない草の根プラットフォームということで


「SOMEI PLATFORM」と名付けることになりました。


プラットフォームのホームページに


李徳全研究会グループとありますのは


2014年の日中首脳会談の実現のためのコーディネートチームが


「李徳全研究会」であることと


それは、日本と中国両国に覚えられた団体であることと


また、そのことは新潮新書から出版された「日中戦後外交秘史」〜1954年の奇跡〜で


明治大学の加藤教授と明治大学学長特任補佐で北京大学日本研究センターの林教授も


書いてくださったように本の中でも


日中友好協会と並んで李徳全研究会を評価してくださっていることも


その所以でもあります。


人を傷つけ、町を壊してしまう破壊的経済活動である戦争と


平和的経済活動である日中草の根プラットフォーム


どちらがこれからのために大事なことかいうまでもありません。


孫たちのために残してくれたこの先人たちの汗と涙を無駄にせず


その歴史を知る人たちから次の世代は受け継いでいきたいものです。


改めて、日中草の根プラットフォームの成功と進展に


みなさま一人一人の参加がいかに重要か次のブログで書きたいと思います。



2014年11月の首脳会談実現前の読売新聞の全国紙での論点で書かれた「李徳全女史」の記事


NHK放送史

1954年 李徳全訪日団 ニュース

https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030411_00000


岸田外務大臣と伊藤忠彦議員による

衆議院外務委員会での

李徳全女史への日本政府の公式の謝辞の表明


https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44295&media_type=






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