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中華人民共和国 国慶節 10月1日 そして、今回の10月8日の会議決定へ

更新日:2021年9月24日




※写真は2015年の訪日の際に1954年の李徳全女史訪日団で19歳にして日本語通訳を任された王効賢女史を挟んで食事会。のちに中日友好協会会長を担われ、そして、中国の人間国宝へとなられました。人間国宝になられた王氏は今もな日本語が堪能で、日中関係の平和を願われていました。


1954年 李徳全女史訪日団訪日


1972年 日中国交正常化


1978年 日中平和条約


2014年 日中首脳会談


2017年 「李徳全」日本語、中国語同時出版


日中草の根プラットフォームを立ち上げていくプロセスで


毎年大事な日や出来事を振り返り何周年とお祝いしていますが


話題に上がるのが国慶節です。


私が李徳全女史のお孫さんと初めてお会いしたのが2014年5月でしたが


実は、国慶節よりも先に日中でお祝いしのがお孫さんの10月の誕生日でした。


日本にとっての2月11日が建国記念日として大事なように


各国の国としての大事なイベントが毎年お祝いされています。


お互いに大事なことがたくさんある中で


まずはお互いに相手のことを知ろうとする努力は大切だと


日中のプロジェクトに関わり、歴史を学び、これまで以上にひしひしと感じています。


日中間のプラットフォームを立ち上げるに至り


それまで中国進出でうまくいかなかった企業があったお話を山のように聞くことになり


その話を色々とヒアリングしてきたのですが


その理由はそれぞれに十人十色ではありながらも


ミスコミュニケーションが発生する中に


相手の政治、ルール、文化、歴史、価値観を気づかぬうちに


自分たち側が正しいのに相手が悪いと決めつけて結論づけ


軽はずみな言葉や態度で軽んじたり、傷つけたりしたとしたら


それはもったいないことだろうなと思いました。


私もわずかながら世界の国々を訪問し、いろんな方と交流したことがあります。


アメリカ、ブラジル、ケニア、タンザニア、インド、イスラエル、韓国、香港、台湾


タイ、ギリシャ、トルコ、そして最後に行けるようになった中国です。


行けた国は少ないですが各国幾度と訪問している国々があります。


東日本大震災の発生後に福島の災害支援活動では立ち上げた支援センターには


世界40ヵ国からのボランティアの方たちがいわき市まで来てくださり


素晴らしい協力体制で働きができましたが


ビジネスと災害支援とは協力はなかなか同じようにはいかないですが


ビジネス、事業連携のスタートと成功のためにも


やはり、「お互いの幸せや発展のためにという思い」を土台にして


相手の文化、歴史、価値観を学びながら


相手を尊敬し、大切にするという姿勢こそが物事の成功の鍵だと思うのです。


日本と中国が互いにスケジュールを共有していくときに


互いに配慮を持ってことを進めていけるものでしょう。


今回10月8日の会議にしましたのも


もともと10月1日にしようかと検討したのですが


コアメンバー会議でより後の日付にずらすことにしました。


中国側は10月1日でもいいと歩み寄ってくださったのですが


日本側が国慶節だからどうするかと提案し


時期はずらすことに決定したわけです。


日中だからこそ相手のことを大事にしたい。


とりわけ、第二次世界大戦で戦争を経験して


互いに多くの被害を経験したこの痛みは


その歴史の傷がしっかり癒やされていくプロセスを共に歩むからこそ


次の世代、そして子供たちへの生きる模範となっていくことと思います。


失敗は成功の素とか母とか言いますが


日中の歴史のマイナスから反面教師として成功へ至るヒントが散りばめられています。


李徳全女史のお孫さんと出会ってから


私が以前からお世話になっている日本の長老ご夫妻の奥様のお父様が


戦争時代の首相岸信介の右腕を任された器で


満州国の重要ポストはもちろんのこと


撫順市の市長も任された人材で


娘さんからその実体験をあれこれ聞かせていただきました。


戦争という実際に世界が展開した事実


人と人が殺し合い


奪い合った出来事


傷つけられ、家族を失った人たちの現実は


簡単に扱われては辛い辛い経験です。


私が娘を突然死で失ったときに


家族の死を経験したことのない人に言われた軽はずみな言葉にさえ過敏になり


心傷んだことがあったのですから


戦争での家族の喪失はどれほどの苦しみとなったことでしょうか。


かつて中国が一人当たり日本の100分の1のGDP時代だった30年前は


中国は後進国として世界の大手企業や大手商社の助けを必要としていたかもしれません


しかし、この30年で世界の状況は変わりました。


アジアで最も戦後発展してリーダーのようだった日本は


30年で韓国や中国と横一線どころか


いやむしろ製造業の分野では


日本が見習う分野が多数存在しています。


それでもなお


日本を愛したおばあさんのもとで育った李徳全女史のお孫さんは


日本と中国の連携と協力がアジア、世界へ貢献できると信じてくれています。


政府間が難しくても


両国の国民一人一人が歩み寄り、手を取り合い


事業の成功を一つ、また一つと積み重ねていくことで


達成できるのです。


李徳全時代にはそれを先輩たちが実践して見せてくれました。


この日中草の根プラットフォームで影の縦役者たち中小零細企業も


日中間においては今度は主役となり


両国ともに事業を進めていき


互いの発展が


これまでの戦争や事業などで失敗や傷つけあった出来事の痛みを


幾らかでも緩和できるきっかけになって欲しいと願うばかりです。


あえて、本日、記事として書いてみました。


日本は敬老の日


我が家の末っ子が両家両親に敬老の日として


幼稚園で手作り石鹸と手紙を書いてくれました。


もらってすぐに郵便局で送りました。


届くとすぐに祖母から本人にすぐに感謝の電話がありましたが


お金に換算したらいくらの価値があるのかわからないただの手作り石鹸ですが


母には大きな喜びだったようです。


金額で見積もられたものの数字の上下に価値があるのではなく


相手のためにいかにして心を込めて、愛情込めて取り組んだかが


プライスレスのいやむしろお金を出しても買えない感動の付加価値です。


日中草の根プラットフォームは


歴史に学び


先人たちの精神や姿勢を見習って


 互いに相手国を思って事業展開したいと思います。


事業パートナーとしてではなく家族として事業をしていきたいものです。


大企業、中小零細企業そこに差はなく


自分たちにできるベストを尽くして


プロジェクトやビジネスに取り組んで


知恵と経験と創意工夫で生まれてくる仕事に


更に、心を込めて、相手の成功を願うという付加価値が備わるとき


最高のオンリーワン、ナンバーワンの商品やビジネスモデルが展開されていくでしょう。


オンリーワンのあなたが参加し


オンリーワン同士が協力して、ケミストリーさせたイノベーションは


常にナンバーワンのものづくり、仕事づくりへとなっていくのでしょう。


戦争で奪い合って誰か一人が世界一になるのではなく


平和に助け合い、分け合い、協力していって世界を豊かにするならば


みんなが世界一の国々になっていけるのでしょう。


10月1日国慶節


中国の建国を共にお祝いし、更なる発展を心よりお祈り申し上げます。













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